「子の墓に」
━━「母の一句」━━━━━━━━━━━━━━━
子の墓にかくれ逢ふ身よ法師蟬 山口紀久枝
━━━━━ 俳句雑誌「寒雷」(昭和28年11月号)より ━━━
母は戦後、俳句に救いを求め、生きる気力を得た。
そして、初めて投句した俳句誌が加藤楸邨主宰の「寒雷」。
掲句は、投句二年目にして巻頭を得た五句のうちの一句。
以下に、選者楸邨の選評を全文転記させていただく。
反 芻 加藤 楸邨
子の墓にかくれ逢ふ身よ法師蟬 紀久枝
子の墓に身をかくして逢ふ人を待つてゐる。法師蟬の声が身に切なくひゞいてくる。さういふかなり特異な境涯が詠まれてゐるのだが、その特異な位置が素直に生かされてゐて、深刻ぶつた響がない。若くて夫に別れ、紙漉を生活としてゐるといふ今の時代の女のかなしさが滲み出た作の多い人だが、今度の一連には、再婚、愛情、亡き子への愛著(ママ)といふものが滲み出て、惹きつけられた。
再婚をせねばならぬ身銀河滲む(注 作者は「澄む」と表記している)
汗の腋毛見られて婦人服かなし
などは、女の身のかなしさをそのまゝ詠んだものだが、
恋告げて恋成りたてばたゞの猫
になると、かなり複雑な自省と批判とが基調になつてゐる。
炎天下来てありがたきわが漉場
を見ると、職場が救ひになつてゐることがわかる。溺々たる女身のかなしさが奏でられた中に、この句にみるやうな芯の徹つた強さのあることがたのもしいと思ふ。
母は、引揚げ後から再婚に至るまでの話をあまり語らなかった。
この楸邨の句評は、当時の母の境涯と心中をしみじみと推し量らせてくれた。
さすが、「人間探求派」の楸邨である。
- 2018.03.08 Thursday
- 母の一句
- 17:10
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- by 亜紀