母が遺してくれたもの(2)

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    「わが心の春夏秋冬」


    「私の墓標は本」生前、母はいつもそう言っていた。

    母の遺影の前にずらりと並べた多くの書籍・雑誌・手記・句集等々。
    一冊ずつ手に取り眺めたり音読したりしながら、少しずつ整理している。

    潮文社編集部編の「わが心の春夏秋冬」〜生命(いのち)映えるとき〜

    編集部の前書きによると、2039編の中から76編が採録され、その一遍として母の手記が載せられている。


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    生かされて    井筒紀久枝  大正10年生(京都市) 主婦


       
    オンドルのしんしん冷えて生きてをり

    昭和十八年、私は旧満州の沃野に夢を託し、「大陸の花嫁」を志願した。写真も見ず、見合いもせず、満蒙開拓青少年義勇軍の青年を夫に決めて渡満した。開拓地は北の果て、チチハルから二〇〇キロの奥地だった。遥か北西に連なる大興安嶺が薄墨色に見えるばかりの、地平線を見はるかす原野だった。

    その大地にまだ馴染むまでにもならなかった翌十九年早々、夫たちは戦争に駆り出された。そのとき、私の胎内には小さな命が芽生えていた。医師もいない、開拓地での出産だった。

    そして、昭和二十年八月、祖国の敗戦に、開拓地は阿鼻叫喚の巷と化した。殺される者、自ら命を絶つ者、餓死、凍死。みんな死んだ。

    私は、幼いわが子を抱きしめて必死に生きた。子どもが泣けば「殺してしまえ」と言われた。零下何十度の酷寒の中、唯一の暖房、オンドルに焚く燃料にも事欠き、しんしんと寒さに襲われた。そんなとき、寒さを感じるのは生きている証し、私は生きているのだ、この子も生きている。明日もあさっても、生きなければならない。私たち母子は、何が何でも生きて故国へ帰らなければならない、と心に誓っていた。

    昭和二十一年十月末、私たち母子は、栄養失調で痩せ衰えながらも、故国の土を踏むことが出来た。しかし、食糧難の時代、幼子に食べさせる物はなく、ようやく連れて帰ったわが子は、その三ヵ月後に死んだ。


    私の故郷は福井県越前和紙の里である。私は引き揚げてから、紙漉き女工に戻っていた。一年後、夫がシベリア抑留から復員してきたが、満州に憧れて結婚しただけの私は、夫をどうしても愛することができなかった。

    無一物の引揚者で、出戻り娘となった私に世間の眼は冷たかった。厳寒の紙漉きは、簀桁(すげた)が凍りつき、漉き水には氷が張る。

       
    あかぎれに紙漉く水のつきささり

    手の霜焼は乾くと割れて、あかぎれになった。越前和紙、襖紙は、漉き水の中へ肘までつっ込んで漉かなければならない。それは、冷たいというより、つきささるように痛かった。


    昭和二十九年、私は再婚して京都に住みついた。貧乏と住宅難は相変わらず私につきまとい、よその屋根裏を借りたり、バラックを借りての生活だったが、そうした中で二人の子どもが出来た。夫は週に一度しか帰って来ない長距離トラックの運転手。私は子育てをしながら内職に励み、子どもが高学年になると勤めに出た。

    そして幾歳月――。小さいながらもわが家を持つことが出来た。と、思う間もなく、成人した二人の子供は巣立っていった。今は夫と平穏な余生を送っている。

    生かされて生きてきた私。ふと出来た俳句をそのまま題名にした私の自分史は、平成五年、NHK学園自分史文学賞大賞になった。生涯誰にも語るまいと心に秘めておいた自分の生い立ちや過去を、勇気を奮って書いた自分史。それが大賞になるとは、夢にも思わなかった。題名にした俳句は、私の生涯、心に残る思い出の句である。

      
    生かされて生き万緑の中に老ゆ


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    以上、この手記で母は、たった3句を自句自注しながら自分の半生を語っている。

    旧満州からの引き揚げ時代の一句
    「オンドルのしんしん冷えて生きてをり」
    からは「いのち」の力が、

    紙漉き女工時代の一句
    「あかぎれに紙漉く水のつきささり」
    からは「いのち」の疼きが、

    そして、ようやくたどり着いた平穏な晩年。その感慨を詠んだ一句
    「生かされて生き万緑の中に老ゆ」
    からは「いのち」の実りが伝わってくる。

     

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    俳句結社「雉」同人。俳号、亜紀。 「京大俳句を読む会」運営委員。俳人協会会員。 ホームページ「平和への祈り」を管理。 「俳句誌「雉」HP「支部のページ」に、 「関西地区だより」を発信中。

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