じはじは餓ゑて

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    ━━「母の一句」━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

     

    蚤虱じはじは餓ゑて死にし子よ   井筒紀久枝

     

    ━━━━━━━━━━━━━俳句雑誌「寒雷」(昭和499月号)より━━━
     

    母の「寒雷」時代の俳句の掘り起こしを続けている。

     

    母の手記「大陸の花嫁」(岩波現代文庫版)併録の句集「満州追憶」には、「寒雷」の加藤楸邨主宰選に入った作品ばかりが収録されている。

     

    掲句はその中でも、楸邨先生の有難い選後評をいただいた作品である。他の句も含め次の3句が入選している。

     

      
      満州時代の友に三十年ぶりに再会

     

    防寒靴かたく結んで殺されし    京都  井筒紀久枝
     

    蚤虱じはじは餓ゑて死にし子よ
     

    子を焼きし羊草代は借りしまま
     

     

    いずれも敗戦後の旧満州。酷寒の避難生活を思い出しての作である。
     

    以下に楸邨先生の選評全文を引用させていただく。

     

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    「寒雷反芻」 加藤楸邨

    「満州時代の友に三十年ぶりに再開(ママ)」と前書にあるような、戦時の記憶を詠んだものである。「じはじは」に胸を打たれる。擬態語は一般的には濫用したくないが、このくらゐ確かであるとみごとといふべきであろう。

     

    この句、戦時の記録としても書きとめておきたい。

     

    寒雷反芻1974(s49)9月.jpg

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    当時はまだ忙しく働いていた母。これを読み、きっと疲れが吹き飛んだに違いない。


    夜中まで和机に向かっていた母の背中を思い出す。
     

     


    お転婆期

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      ━━ 「母の一句」 ━━━━━━━━━━━━━━━

       お転婆期過ぐ目鼻だち冬帽子  井筒 紀久枝

      ━━━  俳句雑誌「寒雷」(昭和46年3月号)より  ━━
      ━━

       
      母が逝き、四度目の春が来た。
       
      不調続きでブログも中断したままだったが、春になると何となく心が浮き立つ。
       
      母の俳句の掘り起こしを再開しようと、久しぶりに俳句文学館を訪ねた。
       
      母は、紙漉工から大陸の花嫁として旧満州へ渡り、引き揚げ、再婚するまでの壮絶な体験を、俳句に昇華させた。
       
      今回は再婚後の俳句の探索。敗戦から少し時代を経て、昭和45〜47年の「寒雷」を紐解いてみた。この頃の母の句は、子育てと仕事に追われた生活苦を詠んだものがほとんどだ。

       (「寒雷集」加藤楸邨選より)
       

       

      そんな中にも掲句のような、子供達の成長を喜ぶ句も見られ、ちょっと救われた気もする。

      当時思春期に差し掛かろうとしていた私を詠んだものと思われる。気恥しくも懐かしい・・。




       


      「子の墓に」

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        ━━「母の一句」━━━━━━━━━━━━━  

         

          子の墓にかくれ逢ふ身よ法師蟬   山口紀久枝

         

        ━━━━━ 俳句雑誌「寒雷」(昭和28年11月号)より ━━ 

         

         

         母は戦後、俳句に救いを求め、生きる気力を得た。
         そして、初めて投句した俳句誌が加藤楸邨主宰の「寒雷」。

         

         


         掲句は、投句二年目にして巻頭を得た五句のうちの一句。
         以下に、選者楸邨の選評を全文転記させていただく。

         

         

           反 芻   加藤 楸邨
         

         

            子の墓にかくれ逢ふ身よ法師蟬   紀久枝
         

         

         子の墓に身をかくして逢ふ人を待つてゐる。法師蟬の声が身に切なくひゞいてくる。さういふかなり特異な境涯が詠まれてゐるのだが、その特異な位置が素直に生かされてゐて、深刻ぶつた響がない。若くて夫に別れ、紙漉を生活としてゐるといふ今の時代の女のかなしさが滲み出た作の多い人だが、今度の一連には、再婚、愛情、亡き子への愛著(ママ)といふものが滲み出て、惹きつけられた。
         

         

            再婚をせねばならぬ身銀河滲む(注 作者は「澄む」と表記している) 

        ​    汗の腋毛見られて婦人服かなし
         

         

         などは、女の身のかなしさをそのまゝ詠んだものだが、
         

         

            恋告げて恋成りたてばたゞの猫
         

         

         になると、かなり複雑な自省と批判とが基調になつてゐる。
         

         

            炎天下来てありがたきわが漉場
         

         

        を見ると、職場が救ひになつてゐることがわかる。溺々たる女身のかなしさが奏でられた中に、この句にみるやうな芯の徹つた強さのあることがたのもしいと思ふ。

         

         


          

          母は、引揚げ後から再婚に至るまでの話をあまり語らなかった。

          この楸邨の句評は、当時の母の境涯と心中をしみじみと推し量らせてくれた。

         

          さすが、「人間探求派」の楸邨である。

         


        紙を漉く

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          ━━「母の一句」━━━━━━━━━━━━━━━  

           

            紙を漉く妊婦いただく額の汗   山口紀久枝

           

          ━━━━━━━俳句雑誌「北十字」(昭和26年10月号)より━ 

           

          昨年、母に関するいくつかの貴重な資料を得た。

          その一つが掲句を含む俳句雑誌「北十字」である。

           

           

           

          「北十字」は、昭和25年11月に創刊された同人誌で、加藤楸邨の主宰誌「寒雷」の衛星誌「天雷」を継承した。当時「寒雷」で活躍していた飯田旭村(いいだきょくそん)を代表とし、主に福井県同人の活動の場となっていたようだ。

           

          母を俳句の世界へ導いてくださった恩人で、「北十字」の編集発行人をされていた大坂淝水(おおさかひすい)さんと、幸運にも連絡が取れ直接お会いできた。「北十字」は昭和31年、福井県現代俳句雑誌「幹」に継承されるが、創刊号から昭和27年まで、母の活躍した期間全ての号をご恵贈いただいた。

           

          この句は、「北十字」の「次代作品抄」に母が初投句した3句のうちの一句。他に以下の句がある。

           

            炎天や紙漉くことを羨まれ      山口紀久枝

           

            瀧つぼに子を泳がせて髪洗ふ

           

           

           

          母が引揚げ後の混乱の中で娘を栄養失調で亡くし離婚した頃だから、同じ職場の紙漉女工の姿を詠んだものだろう。妊産婦や乳飲み子を抱えた女工の辛さや、紙漉く所作の気高さについてはよく語ってくれた。

           

          母は、戦後のどさくさで希望を失い自暴自棄になっていた頃、「寒雷」や「北十字」にせっせと投句し、「生きる力」を得たのだろう。

           

          母を再生させた「俳句の力」を改めて実感した。

           


          望の月

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            ━━━
             
            母の一句 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

             望の月川をはさんで漉き場音  紀久枝

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             (もちのつきかわをはさんですきばおと) 

                     季語・・望の月(秋)


            昨秋、越前市大滝神社の秋祭に奉納された母の一句。

            母が昔、紙漉き女工だった頃、当時の辛い水の職場を詠んだ中の一句だが、今ではこの「漉き場音」は懐かしく、郷愁をそそる音として思い出されると言う。

            今回の奉納句も母の旧友、熊野孝治さんのご尽力で実現した。熊野さんのお手紙によると、大滝神社周辺の手漉き業者も廃れてしまい、今では指で数えられる位の家数になってしまったとのこと。

            また、この句の「漉き場音」については、「
            紙漉きの滴りの音は何とも言えないいい音ですね。特に奉書紙を漉く音は哀感が感じられます。」と書かれていた。

             
            「紙漉きの滴りの音」と言えば、遠い昔、幼少の頃、母の妹たちの紙漉きを見学したことがあった。紙漉きの水自体にとろみがあるせいか、確かに後を引くような「もの悲しい」音に聞こえたような気がする。

            でも、母たち当時の紙漉き女工たちにとっては、若い手や腕をあかぎれや霜腫れにし、容赦なく突き刺した水でもあったのだ。


            matsuri04.jpg


            matsuri04.2.jpg




            早じまひして

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              ━━━ 母の一句 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

               早じまひして漉桁洗ふ祭かな 紀久枝

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               (はやじまひしてけたあらふまつりかな) 

                     季語・・祭(夏)

              69年目の敗戦忌が過ぎた。

              昨年9月の一行日記を最後に、母はすっかりペンが持てなくなった。ほんの時たまスイッチが入れば少し昔語りをする。それが精一杯の様子。

              先月、老人ホームで転倒し脊椎圧迫骨折をしてからの母は、ますます口籠もるようになった。しかも、胸椎・腰椎共に骨折したせいか頓服を飲んでも痛みが強く、さすがの気丈な母も「もうこれ以上生きていたくない!」と泣き言を言うほど。そばにいる私も切なくなった。

              最近
              ようやく痛みも落ち着いてきたようでホッとしている。

              嬉しい知らせもあった。母の故郷の大滝神社春祭に、また母の一句が奉納された。今年も母の旧友熊野幸治さんのご尽力で実現した。心から感謝している。


              以下の写真は熊野さんがお送りくださったもの。熊野さん揮毫による立派な文字。母の一句を行燈の最後に大きく掲げてくださった。

              kentoku2014.jpg
               大滝神社春祭の敬神燈。5月3日〜5日の間、絵馬堂に飾られた。
                            
              (揮毫・撮影:熊野孝治さん)

              臥せっている母は、もうほとんど見えなくなった目をくしゃくしゃさせながら、ただただ手を合わせ喜んだ。
               
              掲句は、母がまだ紙漉き女工の頃、年2回の祭だけが楽しみだった20代に作ったもの。2年前の秋祭献灯句に初めて取り上げていただいた次の句と同時期に詠んだと言う。

               あねいもと帯締め合ふや紙祖まつり   紀久枝



              binsen.jpg
                奉納句の景品としていただいた越前和紙の便箋。
                  
                 

               
               


              創もゆる

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                ━━━
                 母の一句 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

                 紙漉く手炉に乾かせば創もゆる 紀久枝

                ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

                 (かみすくてろにかはかせばきづもゆる) 

                       季語・・炉(冬)

                今、二日に一度は老人ホームの母を訪ねている。手先、足先が痺れると言うので時々マッサージをしているのだが、その時いつも思うのが、母の手の大きいこと。体重は32キロにも満たないのに、手だけはマッサージしている私の手より、大きく節くれだっている。骨は細ることがないのかもしれない。少女の頃から紙漉きをしていた母の手は、九十三歳の今もごつごつした老木の風格がある。


                母の話によると、13歳から下働きとして漉き場に入り、15歳頃から本格的に大きな紙を漉き始めたと言う。例えば「襖紙」。襖紙は越前和紙独特のものらしい。お寺の壁紙くらいになると、一枚の大きさは四畳半くらいになるとか。それを少女4人がかりで漉いたそうだ。


                15.6歳の頃から腕や手首・手のひらを酷使した上、漉槽(すきぶね)の水の冷たさで、霜腫や凍傷で手首の皮膚が崩れた。腫れと疼きは、10月から翌年の5月まで続いたと言う。今でも「あの痛みは、なった者でないと分からんやろな・・。」と、当時を振り返る。


                紙漉女工たちは、冷えた身体を温めにムロ(紙を干す乾燥室)へ入る。すると、手首の創(きず)はたちまち焼けるほど熱く疼き出したそうだ。


                紙を漉く手の疼きを詠んだ母の句は他にもある。


                 雪来るか紙漉く指の股かゆし


                 紙漉くや霜腫れさきに濡らしてより


                 胼ぐすり明日も紙漉く手がいとし

                まさに紙を漉く女たちの「女工哀史」だ。


                帰る時はいつも母と握手をする。母は昔から友人との別れ際に必ず握手をした。いつのまにか私もその習慣が身についた。今は文字も書けなくなった母だが、その骨ばった手に私は励まされている。


                busyukan.JPG
                  仏手柑


                「雪を来て」

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                  ━━━ 母の一句 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

                  雪を来て紙漉く紙の白き中 紀久枝

                  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

                  (ゆきをきてかみすくかみのしろきなか) 

                      季語・・紙漉く(冬)

                  真っ白な雪が降り積もる中を出勤して紙漉き場に入ったら、そこでは真っ白な紙を漉いている。

                   

                  雪の白と紙の白。白さに違いはあれ、それぞれ独特の輝きを放っている。雪国の暮らしの厳しさと、紙漉きの厳しさが伝わってくる。

                   

                  この句については2006年2月、俳句グループ「船団の会」代表の坪内稔典氏が彼のサイトで以下のように紹介してくださった。 

                   

                  「紙」の繰り返しが紙漉きの動作を彷彿とさせる。しかも、「雪を来て」によって白の世界が強調される。真っ白な雪の中の真っ白な紙漉きが印象的だ。

                   (2006年)1月の大阪俳句史研究会は「井筒紀久枝−人と作品」がテーマで、井筒さんの長女、新谷陽子さんが報告された。井筒さんは自伝『大陸の花嫁』(岩波現代文庫)で知られる人だが、私はこの人の俳句など全く知らなかった。報告によると、1921年生まれの井筒さんは、1953年ごろ、「寒雷」で俳句を作ったらしい。紙漉きを生業としており、その体験が多く句になった。「紙を乾す紙と裸と光りあふ」「新雪の日向へ日向へ紙乾し出す」など。いずれもリフレインの効果的な句だが、反復表現のもたらす快活さ、それがこの人の快活な気性なのだろうか。(坪内稔典)

                   


                   九尺四方の漉き舟の中で紙質を溶解しているところ (母が70代に描いた絵)
                   


                  寝て起きて

                  0

                    ━━━ 母の一句 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

                    寝て起きて覚めて八月十五日 紀久枝

                    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

                    (ねておきてさめてはちがつじゅうごにち) 

                        季語・・八月十五日(秋)


                    これは、今年の大滝神社秋祭の献燈句として取り上げていただいた母の一句。

                     

                    今、母は老人ホームで寝たり起きたりの生活。物忘れは激しくなるばかり。でも、時々意識がはっきりすると必ずあの昭和20年の8月15日、日本の敗戦を知らされた日のことを思い出す。

                     

                    正確には2日後の17日だったそうだが、敵国の真っ直中で敗戦国になったという屈辱感と恐怖感。それは、68年経った今もまざまざと思い出すと言う。昔作った一句「帝国がただのにほんに暑き日に」そのままの思いがよみがえるそうだ。

                     

                    そして、二度とあのような暗黒時代がやってこないよう、平和を祈り手を合わせる。 

                     

                     

                     

                    大滝神社秋祭の敬神燈。10月11日〜13日の間、絵馬堂に飾られた。

                    (揮毫・撮影:熊野孝治さん) 

                     

                    あかぎれに

                    0
                       

                      ━━━ 母の一句━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

                      あかぎれに紙漉く水のつきささり 紀久枝           ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

                      (あかぎれにかみすくみづのつきささり) 

                          季語・・あかぎれ(冬)


                      老人ホームに入居した母は、相変わらず昨日今日のことはすぐに忘れてしまう。ところが、60年も70年も昔の話になると、人の会話までしっかり覚えていて、長いときは一時間以上も話し続ける。どんなに辛く悲惨な体験であっても、昔を語る母の目はいつも輝いている。

                       

                      故郷の神社のお祭りに母の一句が奉納されたことから、最近母は紙漉きを始めた少女時代の話をしてくれる。掲句はその頃の一句。他にも以下のような句がある。(いずれも句集「望郷」より)


                       

                        紙漉き習ふ滴る水が足袋に滲む

                       

                        寒の水ひたひた足にて楮揉む

                       

                        楮扱く筵を膝にあてがひて

                       

                        冷たさを確かめて紙漉きはじむ

                       

                        紙漉くや霜腫さきに濡らしてより

                       

                        紙を漉く女ばかりへすき間風


                       

                      いずれの句も、紙漉き女工の労働の過酷さを伝えるものだ。

                       

                      母は、これまで旧満州の引き揚げ体験の話はよくしてくれたが、辛い紙漉き女工時代についてはそれほど多くを語らなかった。

                       

                      でも、最近ゆっくり聞き出してみると、実は紙漉きを始めた少女時代から俳句には関心があったようだ。それも、年2回行われる「大瀧神社紙祖祭奉納句」の行燈を仰ぎ眺めたことがきっかけだそうだ。

                      越前和紙の紙漉きはもっぱら女の仕事だった。女工たちはお祭りになると、ひたすら紙漉き技術の上達を祈願した。小さい頃から文字や文章を書いたり読んだりするのが好きだった母にとって、絵馬堂の奉納句を読むこともお祭りの楽しみの一つとなった。

                       

                      その頃、「俳句は男の文芸」と言われていたそうだが、母の村でも、祭りの「奉納句」に連なるのは男の名前ばかりだった。寄せられた俳句が「天・地・人」順の優秀句に選ばれると賞品(立派な半紙)が与えられた。

                       

                      そのうち、紙を漉く自身の姿を詠んでみたくなった母は、20歳になって初めて奉納句に挑戦した。それが、昨年70年ぶりに奉納句として取り上げていただいた「あねいもと帯締め合ふや紙祖まつり」の一句だ。そしてこの句はいきなり「天」に入る。

                       

                      当時、貧乏のどん底にいて6年生までしか学校に行かせてもらえなかった母が、「俳句」という素晴らしい文芸に出逢えた喜びの瞬間だった。それ以降は俳句が母の生きる支えとなったようだ。

                       

                      これを機に、しばらく母の「紙漉き」俳句を鑑賞してみたい。これからもちゃんと喋ってくれるといいな・・。

                       

                       

                       

                      井筒紀久枝句集「望郷」(1977年 北荘文庫発行)
                       


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                      俳句結社「雉」同人。俳号、亜紀。 「京大俳句を読む会」運営委員。俳人協会会員。 ホームページ「平和への祈り」を管理。 「俳句誌「雉」HP「支部のページ」に、 「関西地区だより」を発信中。

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